介護の三原則は、介護の基本理念として日本を含む世界各国で取り入れられている考え方です。
もともと介護の三原則は、1982年、福祉先進国といわれているデンマークで生まれた考え方です。
介護の三原則は「高齢者福祉の三原則」と呼ばれることもあり、さらにデンマークの高齢者福祉に大きな影響を与えたことで「アナセンの三原則」と呼ばれることもあります。
介護の基本的な考え方であるため、どのような意味をあらわすのか、その内容を確認しておきましょう。
介護の三原則による考え方とは
介護の三原則は、
生活の継続性
自己決定の尊重
残存能力の活用
という3つのことを基本としています。
それぞれ何を意味するのか、その内容は次のとおりです。
生活の継続性
生活の継続性とは、これまでの生活を変えることなく、出来る限り在宅で暮らすことができる配慮を行うことです。
高齢者で介護を必要とする状態になったとしても、それまでの生活を変わらず送ることができることが、本人にとってもストレスのない暮らしとなるはずです。
介護施設に入所することが必要となる場合でも、生活の拠点は変化しますが、それまでの生活環境やリズムなどに配慮することは必要といえます。それまで使っていた家具や生活用品などを自室に持ち込めるようにすることも必要となるでしょう。
ずっと長く住み続けていた場所から、ある日突然、一気に環境を変化させることは大きなストレスを抱えさせることになります。
実際、生活環境をガラリと変えてしまったことが、高齢者の抱えるストレスや症状を悪化させることもめずらしくありません。
特に本人が望まないのに事情があって施設への入所が必要になるケースなどは、これまでの生活をできるだけ断ち切らないようにすることが必要です。
自己決定の尊重
自己決定の尊重とは、高齢者自身が老後の暮らし方や生き方を決めて、周囲がその選択を尊重することです。
介護を必要とする状態になっても、どのように生活していきたいのかを本人が決めることを可能とする環境が理想といえます。
たとえばデンマークの場合、介護を必要とする高齢者が自宅で生活を続けたいと意思を表示すれば、その決定に合わせサポートを行う社会となっています。
介護レベルが高い寝たきりの方の場合でも、自宅で生活したいというのなら、その意思を尊重する体制が整備されているので安心です。
それに対し日本の場合、家族や施設の事情などにより、介護を受ける高齢者の意思が尊重されにくくなっています。
介護が必要な高齢者も、周囲に迷惑をかけることは避けたいと考え、本来の意思を隠してしまうケースも見られます。
日本の介護では、自らの意思を伝えることができない高齢者の本心を引き出してあげることがより必要といえます。
残存能力の活用
残存能力の活用とは、今残っている機能や能力を最大限に活用することです。
それは、本人ができることにも手助けしてしまわないことであり、能力を低下させないことを意味します。
介護を必要とする方が自分でできることまで取り上げてしまえば、残存能力はどんどん低下してしまいます。やろうという意思さえ失ってしまうことになるでしょう。
特にデンマークでは本人ができることもすべて手助けすることはやってはいけないという考え方で徹底周知しています。
できることは自分でしてもらい、能力を維持・向上させるサポートが必要です。
介護現場は忙しいため、時間をかければ高齢者自身でできることも、やってあげたほうが早いからとつい手助けしてしまう可能性があります。
しかしそれは介護する側の一方的な都合であり、本人がやろうとする意志や気持ちを奪うことは質の高い介護ではありません。
あくまでも介護現場では、できないことをサポートすることを意識しておくことが大切です。
介護の三原則が伝えたいこととは
介護の三原則をまとめると、適切な支援を行えば在宅で生活を送り続けることが可能な高齢者まで介護施設に入所させ、受動的な立場に立たせ一斉に過剰・画一的なサービスを提供することはしてはいけないということです。
高齢者が普段生活を送る場所が自宅なのか、それとも介護施設なのかなど、その方が過ごしている場所により介護ケアの質や量が決まるのは不合理・不平等ということになります。
介護施設ではすべての施設入所者に対して十分にケアを提供できる環境にありますが、自宅で生活し続けている高齢者に対するケアは限定されることは問題です。
このような問題を解消するために、住む場所とケアをセットにした施設を作るのではなく、自宅で生活する方のニーズに合ったケアの提供が可能な体制が整備された高齢者住宅の拡充が進んだといえるでしょう。
今後は高齢者がさらに増加することが見込まれているため、介護施設に入所せず自宅でケアを受けながら過ごす高齢者が増えることが予想されます。
どの高齢者にも必要とされるサービスが公平に提供できる環境が整備されることが望ましいといえるでしょう。